陸マイラーはろ♂馬とマイルと酒とメシ

2017年1月に陸マイラーを始めました。馬が大好きな普通のサラリーマンのブログです

2025・7 (縄文に戻る時)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の普段の生活圏から離れて

色んな場所に行ったり

色んなものを調べ漁っていると

色んな出会いに恵まれるものだなと

最近はつくづく思い知らされます。

 

最近また面白いものに出会ったんですが

やっぱり『縄文に帰れ』と言われてるようで

というか強制的に縄文に帰されるんだろうなと

ちょっと疑いながら見ていた世界観というか

軸足は完全に変わったんです。

◾️◾️族の言い伝え、古文書の他に

聖書などにも連絡ツールのない時代なのに

示し合われたように同じ時代に似たような記述があったり

おそらく太古の昔に、作り話ではなく

本当にそういう事象があったんだろうなと思うことがあります。

ここまでの文章でも

こいつ頭がおかしくなったな……

と思われるかもしれないし

それどころかそう思う人の方が多いと思います。

まあ、信じろとも言いませんし響く人に響けばいいと。

 

ここ最近、暇さえあれば縄文のことなど調べて

考え方の軸が変わったと自分では思ってます。

以前の記事で縄文人は現代の文明の利器を全部無くすとこうなるだろうなという生活をしていたと思うと書いたことがあります。

三内丸山遺跡を訪ねた時にそう思って以来

自分の中ではまだ漠然としていたり

釈然としないものも残っていて

そういうものを埋めるために暇があれば時間を費やしてました。

 

でね、そんな中、自分の中で

時間軸の一定の結論?を見ました。

おそらくそうなるんだろうな……という。

先日、アフリカに行った日本人のことをあるところで知ったんですが

もう、それがモヤモヤを掻き消したというか

引き寄せられて導かれたと妙に納得してしまったんですね。

うん、やっぱり縄文に戻るんだなと。

これはミーハーな浮ついたものではなく

芯からそう思うに足るものでした。

 

今の日本人のほとんどの人が忘れてしまったもの

それが何故か世界の一部では残っているし

とても尊いものです。

 

 

こういう話しは知ってるでしょうか……

特に夏や秋によく聞く虫の声。

キャンプなどするとよく聞く声です。

敢えて音とは言いません。

夜道を歩いていても聞こえてきますけど

あの声を不快に感じる人っているでしょうか?

自分はむしろ情緒があるというか、いい声だなと思うんですが

あの声をいい声だなと感じるのは世界中で

日本人とポリネシア人だけだそうです。

他の民族の人、まあ世界中の大半の人は

騒音にしか聞こえないそうなんです。

だから、どんなに自然に囲まれて慣れている人でも

虫達が大勢で鳴いている声は騒音にしか聞こえないらしく

そういう場所では耳を覆うんです。

『虫の知らせ』という言葉が日本にはあります。

今では虫の知らせと言えばあまりいい状況で使われないと思いますが

アフリカや世界の僻地では

日本人は虫を伝書鳩のように使えて

虫に伝言をお願いすると遠くの人に伝言を伝えることが出来ると信じられていたりします。

世界でも稀なD遺伝子は縄文の遺伝子で

今では日本人など限られた地域にしか残っていません。

日本人の遺伝子は本当に稀有で

とんでもない力を未だに持っていると世界では信じられていて

日本人が滅ぶと世界が滅ぶと信じる人が世界中にいるんです。

 

争いを避けて、仕方なく戦うときは知恵を絞って

D遺伝子を残してきたわけですが

やはり敗戦での占領政策

完全にD遺伝子は封印されてしまっているというのが

俯瞰して見ている世界中の人が思っているところのようです。

確かに周りを見ていても余裕がなくて迷って生きている人ばかりに見えます。

どうでもいいことの犯人探しばかりしているし物欲にまみれてる。

 

自分が確信した縄文への回帰はお題の時期。

本当にぶっ飛んだ自分の話しを隅々まで聞けるなら伝えますが

ブログなどには書かない💦

本当に本当に本当によくリアルに想像して欲しいんですね。

名誉もお金も今の便利なものが通用しない世界。

お金は通用しないし電気がなければどんな世の中になるか。

今の仕事が出来るでしょうか。

備蓄がどうこうのレベルではないかもしれません。

 

その時に縄文の感覚がわからない人は

ただただ不便で不快に思うだけでしょう。

縄文の感覚を理解して許容出来る準備が出来ている人には

ただただ幸せな世界だと思います。

華頂さんもそのような話しをされてますが

単にそこを深掘りして妄信しているのではなく

色んな方面から調べてみて方々からやはりそういうものなんだと思うんですね。

 

明るくなったら起きて

暗くなったら家族や知った人と対話して自然の中で声を聞きながら寝る。

お金も必要なく助け合って食べて生きるだけ。

そんな時に本当に助け合おうと思える人がどれだけ周りにいて

誰が信頼できる人なんでしょうかね?

今の職場だったり何らかのコミュニティが崩壊しても

久しぶりに出会ったそれらの組織の人とどれだけ親身に向き合えるか。

 

空を見上げたり花をぼんやり眺めたり

自然と触れ合ったり対話したりしてますかね?

植物にポジティブな言葉をずっと投げかけ続けると美しく長生きし

ネガティブな言葉をずっと投げかけ続けるとすぐに枯れるということが実証されているように

万物はそういうものです。

量子力学の世界でもそう感じざるを得ない。

縄文人はそれが当たり前に出来てました。

だから何万年も争いがなかった。

日本人がその時に力を発揮すると言われてるんです。

現代の日本人が見向きもしない縄文や太古の文化に

世界中が注目してるのを肝心の日本人が知らない……

 

死生観でももう準備は出来てるような……

全くではないけど未練もそんなにないかも。

だから出来る範囲で好きなことをして

ピリピリせずのんびりと。

その時はそう遠くない将来

地位や貧富の差関係なく平等にやってくるだろうと。